南三陸町さんさん商店街
復興商店街を取材して思う観光地のあり方

震災から3年。復興の活気に満ち溢れる仮設商店街を取材していて観光地のあり方について考えさせられる事がある。飲食店・物販共に魅力的な食材に満ち溢れている。気仙沼・南三陸ともに港町で海鮮料理が強いのは分かるが、質量共に日本中の殆ど全ての観光地を凌駕するハイクオリティである。

気仙沼の海鮮丼

気仙沼の海鮮丼

新鮮な海鮮丼が山盛りでも千円。まかない丼から、地元ならではの独特の珍味まで種類も様々。鮮魚を扱う魚屋でも、ふかひれや、蛸、カジキなど気仙沼や南三陸ならではの食材も豊富である。食事どころなどはそのバラエティの多さに何処で食べるか迷うほど。気仙沼では海鮮以外にも、気仙沼ホルモンや地元のイチゴがあり山の幸も豊富である。南三陸では、志津川の蛸を活かした蒲鉾や地鶏の卵などどれもが魅力的。

これらを見るだけでも行ってみたくなる観光地となってる。なんだかんだと言ってもやはり食べ物は重要な観光資源の1つであると改めて思う。

そしてこれらの商店街の品質と値段とサービスを支えているのは実は地元の人々である。つまり、観光客用のお食事処ではあっても、あくまでも店の顧客は地元の住人である。これが、適度な競争を生み飲食業界を支えるバックボーンとなっていると考えられる。

ここで思う日本の各地の観光地の食事処の質の低さを思う。1000箇所を超える観光地を回ってきて思うのは、観光地と呼ばれる町はレストランの質が著しく低い。料理そのものにやる気を感じないし値段も高い。正直最近では何処で食べてもあまり美味しくないので、どうせ不味いならコンビにでも言いというスタンスに完全になっている。これの最大の原因の1つはやはり、一見相手によって起きる競争の無い経営が質の低下を招いていると考えている。味やサービスに努力を必要としないのであれば、質はどんどん低下していくのは当然である。力のある観光地として人が集まれば、リピーターなんて関係無く一見さんが金を落としてくれるから、努力しなくても良いと考えていると知らないところでどんどんとその観光地の評価を下げている事になっている事を知るべきである。

こんなつぶやきを飛騨高山の観光課の方から聞いた事がある。「東海北陸縦貫道が出来たおかげで観光客は増えたが、殆どの人間は高山で遊んだ後で富山に泊まりに行ってしまう様になった為に、逆に地元にお金が落ちなくなってしまった。今、経営難に苦しんでいる民宿やレストランが多いです。」と語っていた。これは先のレストランの質の低さが招いた結果ではないだろうか。観光客が多くて努力しなくても経営できたレストランや民宿が自ら招いた怠慢ではないだろうか?高山での食事が美味しければ態々富山まで移動はしないはずである。高山は観光地としては楽しいが料理は富山で食べたほうが美味しい、と言うレッテルを貼られてしまったのでは無いだろうか?移動が便利になればなるほど、こうやって静かに評価されていく観光地の評価が顕著に現れてくるのではと思う。

リピーターを生み出す大事な要因のひとつには確実に食事が存在する。観光客だけを相手にさせた経営を続けさせればどんどん質は低下していく。観光資源としては最も重要な要因のひとつである食事をまず地元の住民が支えていく、つまり「評価し競争させる」事はとても重要な活動では無いだろうか?

外人観光相手のライバルはコンビに弁当であるとアドバイスした事があるが、外人だけでなく日本人でも「無理して食事しないで旅行だけ楽しめばいい」と言う風に静かに日本中の観光客に評価されてないかと各観光業界に携わる皆様は考えてもらって欲しい。

1. 観光客だけを相手にさせてるレストランは間違いなく質は低下していく。
2. 料理が美味しくないと言う噂は静かに確実に広まっていく。
3. 結果として観光地としての評価を下げるだけでなく、客単価を下げる要因となって行く。

レストランに地元の人が足を運び「評価と競争」を起こさせ更に産業自体を地元の人が支える構図をしっかりと意識しないと駄目だと考えられる。

気仙沼や南三陸の復興商店街ではそれが出来ている。しかも彼らには未来へと発展する活力にも満ち溢れている。地元の観光客向けのレストランを食べ歩いてみて、その味と値段をこれらの気仙沼や南三陸のレストランと比べてみて色々と考えて欲しいと思う。そして忘れてはいけないのは、東京は激戦区である。味に関しては世界で一番厳しい人々が生活している。彼らを満足させられる料理を提供するのは実はそう簡単ではない。近所の定食屋の方が旅先の料理より美味しくて安いと本気で思われだしたらその内日本人にだって、旅の料理は無理しなくてもコンビニ弁当で良いなって評価をされかねないので出来れば各観光地にも真剣に考えて欲しいと切に願う。

復興屋台村・気仙沼横丁

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